河岸の町 名残とどめる年中行事~川岸地区~

暮らし

小美玉市小川の川岸地区で行われている船守稲荷(ふなもりいなり)と水神宮(すいじんぐう)の例祭は、かつて同地区にあった小川河岸(かし *1)の名残をとどめる年中行事として、水害防止などが祈願される。毎年10月、地区の人々によって厳かに神事が行われる。

*1 河岸 河川や運河、湖、沼の岸にできた港や船着場のこと。

※小川河岸跡の水神宮

※船守稲荷

江戸時代から明治にかけ、小川は園部川の流れを利用した水運の重要な河岸の町として栄え、人々の往来も多かった。河岸のあった場所は現在舗装され、町営駐車場になっているが、その周辺には当時水運に関係した運送業者や船頭などが信仰した船守稲荷や水神宮が残っている。

※小川河岸(模型)(小美玉市小川資料館所蔵)

※小川河岸周辺図(明治初期)赤〇部分が河岸

※旧小川河岸周辺現在図(引用元:Google社「Googleマップ」)赤〇部分が河岸

※小川河岸跡の案内板

船守稲荷の歴史は江戸時代までさかのぼり、船頭が航行安全を祈願して建てたお宮であるといわれている。水神宮も運送業者や船頭などの安全と商売繁盛の神として崇拝された。石のほこらには「安永八」と元号が刻まれており、今から約240年前の江戸時代に建てられたことがわかる。かつて水神宮の例祭はとても華やかで、河岸に入る船には赤提灯が灯された。小川河岸は鉄道や自動車の発達によって大正末期にその役割を終えたが、その後川岸地区の人々によって両宮の例祭が行われている。

※船守稲荷例祭の様子

※水神宮例祭の様子

例祭の日は神前に供物が供えられ、神職による祝詞(のりと)奏上の後、川岸地区の人々によって玉串(たまぐし)が供えられる。かつての華やかさはないが、昔を偲ぶ年中行事は今も大切に守られている。河岸の町として栄えた小川の歴史を今に伝える貴重な文化遺産である。
さまざまな伝統行事が忘れられていく中、もう一度それらの原点に触れてみることは、地域の歴史や魅力を再発見するきっかけになるはずだ。

  • コメント ( 0 )

  1. この記事へのコメントはありません。

藤井孝一

5,112 views

小川地区を中心に取材を担当しています!よろしくお願いいたします。

プロフィール

ピックアップ記事

関連記事一覧

ABOUT

TOWN JOURNAL OMITAMAとは
私たち小美玉市民による、小美玉市民のための市民メディアです。

有志の住民グループにより結成された「タウンレポーター」が茨城新聞社の取材や編集の指導や協力を受けて、小美玉市の情報を小美玉市民のために発信していきます。
ABOUT