郷土の歴史と文化を研究して40年 小川郷土文化研究会

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※小川郷土文化研究会会誌「ひたち小川の文化」

小川地区で郷土の歴史や文化を研究する小美玉市小川郷土文化研究会が、今年創立40年を迎えた。郷土の有形・無形の文化遺産を調査研究、保存記録して後世に残そうと同好の士が結集し、1980(昭和55)年に発足。会誌である「ひたち小川の文化」を年1回発行し、会員が調査研究した論文を紙面で紹介している。歴代の会誌は市内図書館で見ることができる。

以前は郷土史を研究する人が多く、会誌を発行する際は多くの論文が集まった。近年は郷土史を研究する人が減り、会誌への投稿も減少傾向。現在の会員数は70名ほどだが、年齢層は60歳から90歳代と高齢化も進んでおり、年1回の会誌発行が困難になっている。

そんな中、会長の宮内保明さん(71)は新たな試みを始めている。もともと会員となるのは郷土史を研究する人が多かったが、そうでない人にも積極的に入会を促している。さらに会誌に「皆からの一言」コーナーを設け、専門的な論文形式ではない地域で生きてきた人の生活体験をありのまま書いてもらう取り組みを始めた。昨年度の紙面には会員自身が体験した戦中戦後の貴重なエピソードの数々が寄せられた。宮内さんは、「家族のため、生活のため、ひたすら働いてきた人たちも参加できるものでなければならない」と話し、受験勉強のための歴史やクイズ番組の知識のような歴史とは異なる「懸命に生きた郷土の人々の歴史」を遺す重要性を強調する。

筆者の「ひたち小川の文化」との出会いは小学生の頃。たまたま自宅にあった冊子をパラパラとめくった程度だった。大学生になり、地元の祭礼の歴史を研究しようと資料を集めていたとき、かつて見た「ひたち小川の文化」の記憶が蘇った。「ひょっとしたら何か書いてあるのではないか」と、改めてめくったページには、かつて小川が舟運で栄えていたこと、近隣の医師が集い新しい医学の研究が行われた稽医館(けいいかん)があったことなど、郷土の栄光がぎっしりと収められていた。研究論文としてまとめ上げた会員の熱意がこれでもかという程伝わってきたのである。まさにそれは、懸命に生きた郷土の人々の歴史だった。

筆者37歳の今年、ある取材をきっかけに入会を勧められたが、考えるまでもなく即答した。現在会員として今年度の会誌の原稿を執筆している。今回は小美玉市小川古城の素鵞(そが)神社の祇園祭における年番(ねんばん)制度をテーマに原稿を執筆した。2020年(令和2)の祇園祭が新型コロナウイルスの蔓延により中止になったことを受け、祭の歴史や現状を多くの人に伝えたいという思いから決めたテーマだった。先人が遺してくれた郷土の栄光を少しでも取りこぼさないように、最終段階の校正を進めているところだ。

  • コメント ( 18 )

  1. ブルたん

    地元の有形無形の文化遺産を残していくことは大事なことだということがよくわかる記事でした。
    校正も頑張ってください!

    • 藤井孝一

      ブルたん様、コメントありがとうございます。
      あまり人気のない分野だと思いますが、ふるさとの歴史って結構面白いです!

  2. 斎藤 友幸

    何と‼ 小川地区で郷土の歴史や文化を研究する小川郷土文化研究会の会長さんが、71歳・・・とのこと年度が変わる頃に60代とサヨナラする私はレポーターさんの倍近く生きています。それでも、小美玉人8年の新米です。小川地区の歴史に興味がありますので機会がありましたら教えてくださいね。

    • 藤井孝一

      斎藤友幸様、コメントありがとうございます。
      私もまだまだと思っています。
      深い、けど面白い!
      小川地区、なかなかよいところです。

  3. かがやん

    郷土史だいすきです。小川の取り組みはすばらしいですね。アピオスの緞帳がすごい印象に残ってて。霞ヶ浦を舟で渡って嫁入りする図柄ですよね。あんな感じだったのかなぁ。

    • 藤井孝一

      かがやん様、コメントありがとうございます。
      郷土史を研究する上では、地道な資料探しの作業があります。しかしそれが見つかった時は本当に嬉しいです。
      アピオスの緞帳、宝船の絵柄だったと思います。
      嫁入り舟は潮来周辺の風習ですね。潮来の水郷情緒もなかなかです。
      「婚礼」の民俗も研究のテーマとして面白いかもしれません。小美玉地方にもかつては独特の婚礼のしきたりがあったのではないかと思います。

  4. overs24

    かがやんさんのコメント、たぶんコスモスの緞帳のことだと思います。玉里出身のきりえ画家、滝平二郎さんの作品が、夕陽と筑波山、霞ヶ浦の作品で、小舟に乗っている人が対岸にお嫁入りするようにも見えて郷愁を誘う、素晴らしい作品です。

    • 藤井孝一

      overs24様、コメントありがとうございます。
      コスモスの緞帳も素晴らしいですよね。
      とても見応えがあると思いますください

  5. けいのえりな

    入会までの経緯に胸が熱くなりました。なんだかプロジェクトXみたい!書き手の人生と地域がクロスする様が見えてくるのは、ハイパーローカルメディアならではの魅力だと思いました。

    • 藤井孝一

      けいのえりな様、コメントありがとうございます。
      いつかこの会誌に自分が書いた原稿が載ったらいいなと思っていました。
      まだ発行はされていませんが、また一つ夢が叶いました。
      今回の会誌、是非多くの方にご覧頂き、ご批判を頂ければと思います。今後の祭礼研究のきっかけになればいいなと思います。

  6. プレーンヨーグルト

    旧小川小学校のお城があったらしいですね
    その横に蘇我神社多分県道8号線沿いが城下町だったのですか?
    もっと知りたいです。
    ジオラマを作って昔からのお祭りを再現したいですね。
    私も何年か前アピオスで開催した小川のお城の城主のイベントに参加しました。
    お城周りのお堀跡など今はココですみたいな面白いお話しもありました。
    小川の昔もっと表に出しましょう!

    • 藤井孝一

      プレーンヨーグルト様、コメントありがとうございます。
      旧小川小学校跡(城址)には正治2年(1200)に下河辺正平(小河二郎)によって築かれた「小川城」がありました。現在その隣には小川鎮守である素鵞(そが)神社があります。素鵞神社はのちに小川城主となった園部宮内少輔の指図によって祀られた神社であり、以後お祭りで使う注連竹(しめだけ)は城内から伐ることができました。

      県道8号沿いの街並みは、小川でも古い街並みであり、城があったころ城下町が形成されました。
      その後江戸時代には河岸(かし)が発展し、小川は港町として繁栄します。

      素鵞神社の祭りも歴史がふるく、かつては小川城主の関わりがあった祭りでした。江戸時代の古い記録があり、昔から賑やかに行われてきました。

      平成29年、戦国末から江戸時代初期に小川城主、松岡藩主を経て新庄藩主となった戸沢政盛を広く顕彰するため、「戸沢サミット」が行われました。この時はちょうど小川の祭りとかさなり、私は参加できませんでした。

      プレーンヨーグルトさんがおっしゃる通り、小川の輝かしい歴史をもっと広めたいです。

  7. 藤井孝一

    プレーンヨーグルト様、コメントありがとうございます。
    旧小川小学校跡(城址)には正治2年(1200)に下河辺正平(小河二郎)によって築かれた「小川城」がありました。現在その隣には小川鎮守である素鵞(そが)神社があります。素鵞神社はのちに小川城主となった園部宮内少輔の指図によって祀られた神社であり、以後お祭りで使う注連竹(しめだけ)は城内から伐ることができました。

    県道8号沿いの街並みは、小川でも古い街並みであり、城があったころ城下町が形成されました。
    その後江戸時代には河岸(かし)が発展し、小川は港町として繁栄します。

    素鵞神社の祭りも歴史がふるく、かつては小川城主の関わりがあった祭りでした。江戸時代の古い記録があり、昔から賑やかに行われてきました。

    平成29年、戦国末から江戸時代初期に小川城主、松岡藩主を経て新庄藩主となった戸沢政盛を広く顕彰するため、「戸沢サミット」が行われました。この時はちょうど小川の祭りとかさなり、私は参加できませんでした。

    プレーンヨーグルトさんがおっしゃる通り、小川の輝かしい歴史をもっと広めたいです。

  8. こむぎ

    2年前、息子が総合の学習で小川城の歴史に取り組んだことから、小川の歴史に興味を持ちました。その時は「ひたち小川の文化」のことも知らなかったので残念でしたが、ぜひ図書館で読ませて頂こうと思っております。

    • 藤井孝一

      こむぎ様、コメントありがとうございます。
      お子様の総合の学習で小川城について取り組まれたとのことですが、その時はどんな資料を参考にされたのですか?
      もしよかったら教えて頂ければ幸いです。

      • こむぎ

        藤井様
        息子は近くを流れる川の様子を源流からたどりました。霞ヶ浦に流れ込み、そういった水運を利用した町として小川が栄えたことを知りました。ちょうど小美玉市で「戸沢サミット」行われたので、親子で参加させて頂きました。その後、資料館の展示を見たり、サミットで聴講した街の作りの複雑さを体験しようと、散策しました。地方史面白いです。

        • 藤井孝一

          こむぎ様、コメントありがとうございます。
          私は小学生から地元の祭礼について興味を持ち、これまで専ら祭礼を中心に研究してきました。
          祭礼の歴史を調べていくうちに、その歴史が地域の出来事や時代背景と深く関わっていることに気づき、それからは祭礼以外の地域の歴史について調べるようになりました。
          祭礼の論考を進めるにあたり、地域の歴史をしることでより広い視点で考察できることにも気づき、これからも少しづつ勉強していきたいと思います。
          「ひたち小川の文化」39号は私の初めての原稿として、「素鵞神社祇園祭における年番制度」と題して論考しました。現時点で私が書ける内容は書いたつもりですが、今後歴史を勉強することでさらに充実した改訂版が書けるのではないかと思います。

  9. 藤井孝一

    こむぎ様、コメントありがとうございます。
    お子様の総合の学習で小川城について取り組まれたとのことですが、その時はどんな資料を参考にされたのですか?
    もしよかったら教えて頂ければ幸いです。

藤井孝一

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