語り伝えられてきた、おだんキツネの話~羽鳥駅の今むかし④

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小美玉市にある唯一の鉄道駅、羽鳥駅(JR常磐線、同市羽鳥、1日あたりの平均乗車客数は1797人[*1])の新駅舎が2020年2月に完成。2021年3月には駅周辺整備事業も完了しました。このシリーズでは羽鳥駅にスポットを当て、さまざまな角度からレポートします。

*1 2020年度国土交通省調べ、降車人数は含まず

駅周辺整備事業では東西両側のロータリーが拡張され、車の流れがスムーズになりました。駅前の様子も大きく変わりました。

現在は人家が立ち並ぶ同駅周辺は、鉄道が敷かれる以前はクヌギやマツの自然林が広がっていました。キツネが住む「阿丹(おだん)塚」があり、尻尾が白いキツネ(おそらくホンドギツネ、北半球に広く生息する)が住み着いていたそうです。1895(明治28)年、鉄道建設工事が始まるとキツネは逃げてしまいました。当時、駅前で運送業を始めた川又利八さんは小さな祠(ほこら)を建て(現在の西口ロータリー付近)、キツネの霊をまつりました。大正時代の末、祠は現在の位置(元の位置から約30メートル南、駅前組集会所のとなり)に移され、現在は御檀(おだん)稲荷神社として地域住民の手で守られています。

※現在の駅周辺
※御檀稲荷神社

神社の名前はずっと口頭で伝えられていただけでしたが、2008(平成20)年の神社改築時に初めて石碑に刻まれました。神社の由来を記した古い文献史料はほとんど残っていません。昭和終わりから平成はじめに住民から聞き集めた話が本にまとめられましたが(*2)、「おだん」の表記が変わったいきさつは詳しく書かれていません 。改築では、敷地内の樹木が整理され、新たに石の祭壇が造られて明るい印象になりました。制作年代不詳のキツネの像と、1969(昭和44)年に造られた石の鳥居は以前のまま残されました。

 昭和初期に発表された『羽鳥小唄』(*3)には、駅前に住んでいたというキツネが登場します。「おだん塚なるこんこんギツネ、塚はくずされキツネは逃げて、今じゃ開けて汽車の音よ」。小唄の制作を発案したのは、羽鳥尋常小学校(現在の羽鳥小学校)の大森訒(じゅん)校長でした。若者に健全な青年団活動を進めたいと、小唄と踊りをつくったそうです。

地元の青年団や婦人会が運動会や催事を行うと、小唄に合わせて踊っていたようですが、1960(昭和35)年以降は忘れられていました。2001(平成13)年、地域コミュニティの文化部会が中心になって小唄を復活させました。小唄を覚えていたお年寄りにうたってもらい譜面におこして、公民館でレコーディングしてCD音源を作りました。踊りも同様に記憶をたどってもらい、新しいアレンジを加えてまとめたそうです。小唄の復活を進めた当時の部会メンバーは「みんなに楽しんでもらいたいというメンバーのパワーがすごかった。それだけ羽鳥というこの地域を大切に考えていたんです。これから、もっともっと元気で魅力ある地域になってほしい」と話していました。小唄は「羽鳥祭」(羽鳥の鹿島神社祭礼)の一部として駅前通りで踊られています。

鉄道建設以前、駅の東側にあったクヌギやマツの林は1957(昭和32)年、石材加工業者の工場が誘致されたときに切り開かれました。2000年頃工場が撤退し、跡地は整地され2005年から宅地として分譲されました。現在250戸を超える住宅が並んでいます。

※東西自由通路から見える風景 (西口)
※東西自由通路から見える風景(駅北側)  写真提供 長岡ひろみさん

 駅周辺の様子はキツネが住んでいたころとは全く変わってしまいましたが、東西自由通路から見える美しい空と筑波山は、駅利用者の心を和ませてくれます。人や車が行き来しやすく、夜も安心して利用できる駅になりました。羽鳥駅を中心としたエリアは、小美玉市の陸の玄関として賑わいを期待されています。

*2 
 (参考文献としても利用しました)
『竹原村誌 上巻』
『美野里町史(上)』発行:平成元年3月 編者:美野里町史編さん委員会
『美野里町史(下)』発行:平成5年2月 編者:美野里町史編さん委員会
『美野里町史史料集 第3篇(民俗1)』発行:昭和56年3月 編集:美野里町史編纂委員会
『美野里町史 資料集(民俗四)』発行:昭和62年3月 編集:美野里町史編纂委員会
『美野里の文化 第2号』発行:平成4年3月 編集:美野里町郷土史文化研究会
『美野里の文化 第3号』発行:平成5年7月 編集:美野里町郷土史文化研究会

*3 
作詞:篠原憲之介 鉾田実科高等女学校(現在の茨城県立鉾田二高・茨城県鉾田市)校長、同市花野井出身、号・豊州
作曲:不詳 音楽学校の生徒という記録のみ残っている
踊りの振り付け:滑川久四郎 園部尋常小学校(現在の園部小学校・石岡市宮ケ崎)教師、ただし現在の踊りは2001年、地域の舞踊愛好家により現代風にアレンジされたもの

スライドショー素材提供:坂野秀司タウンレポーター、池田光一さん、矢口正彦さん、大塚佼巳さん、地域のみなさん

新駅舎と東西自由通路完成 ~羽鳥駅の今むかし① | TOWN JOURNAL OMITAMA (タウンジャーナル 小美玉) (townjournal-omitama.com)

「いままでありがとう!羽鳥駅舎」お別れ会開催 ~羽鳥駅の今むかし② (townjournal-omitama.com)

駅開業当時の様子 ~羽鳥駅の今むかし③ (townjournal-omitama.com)

  • コメント ( 3 )

  1. overs24

    取材力がハンパないですね!
    知らないことばかりで勉強になります。

    • 瀧澤比佐乃

      overs24様
      いつもコメントいただき、ありがとうございます。
      取材を通して、地域に愛情を持っている方がたくさんいらっしゃることを改めて知りました。
      私たちTJOの活動でみなさんの思いを繋げていけたらいいなと思います。

  2. 尾藤清乃

    生まれた時から羽鳥に住んでるのに、この稲荷神社の存在を知りませんでした。
    今度、お参りにいきます!!!

瀧澤比佐乃

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★編集部★ レポーターとして奮闘中の主婦です。

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